いつか、芹沢あさひを分かっていた日・改
小学生の頃、「黒地で文字が黄色のナンバープレートを一日に五回見ると幸せが訪れる」って噂が友達の中で流行りまくって、それらを黒と黄色で“クロッキー”と名付けてみんなで町中探し回った思い出があります。
今になってみると、根拠も理屈もない誰かが作った幸せな世界のお裾分けを何も疑わずに享受出来ていた自分たちの純粋さが羨ましいなとまで思ってしまいます。
どうも、オタクです
2020年4月、初めて芹沢あさひに限定PSSRが追加されました
当時有難いことに引くことが出来たけど手に入れた時にコミュ読むのめちゃくちゃこえぇ〜〜〜になってしまってずっと封印していたこのカード、恒常あさひの追加もありついに決心が着いたので半年の時を経て読み切ってやろうという姿勢になりました
いざ読んでみるとめちゃくちゃ面白くて、でもどこか切なくて羨ましくて、深い喪失感を刻まれてしまったのでこの感情を書き起こしておきたいなと思い今に至ります
この先、【空と青とアイツ】のネタバレを多分に含みますのでご注意ください
全体を読んでまず印象に残った点ですが、今回のコミュの主人公はあさひではなくプロデューサーでしたね。
これまでのあさひコミュって好奇心故の危うい行動をするあさひの手綱を持ちながらもその彼女の行動理由を知ろうとするプロデューサーという構図だったと思います、でも今回のあさひの行動理由は悔しいぐらいにわかっちゃうんですよね、あさひのわくわくに共感してしまうからこそ、普段よりもっと距離を感じてしまうんだなぁと
あさひのいる“そこ”に、いたはずだったんだなぁと
(基地、なんだろうなぁ)
最初のコミュは倉庫にあさひが秘密基地を作ろうとしているところから始まります。
このコミュ、プロデューサーがあさひの行動の意図をやんわり理解(基地、なんだろうなぁ)してからそれを行ってはダメな理由を話して説得しようとしてるんですよね。この話の構造って普段のとりあえず行動を止めさせてから行動の意図を説明してもらうというものと真逆なんですよ。つまり、珍しくあさひを分かった上でからコミュニケーションを取れてたんですよね。序盤のこの時点でいつもとは違う雰囲気で話が進んでいきます。
今思うとこの顔、完全にきよしこの夜で言ってた「ダメと言われるとわかった」時の顔と同じじゃないすか?
ただでさえこの「わかった」顔を見るのすげぇしんどいのに、今回は俺達もわくわくした経験がある「自分だけの秘密基地作り」を阻害しようとする大人側にプロデューサーが回ってしまったという虚しさと罪悪感がのしかかってきて苦しかったです。
別選択肢ではもっと楽しそうに秘密基地の予想図について語り、にこにこと去っていくあさひとその笑顔に負けてしまうプロデューサーが描かれています。
こんなにも狭い倉庫でもあさひにとっては自分だけの広い広い世界の素になるんだなぁと思うと、狭いと決めつけていた自分が何かに縛られたつまらない人間になっちゃったなぁとつい重ねて考えてしまいますね。
俺達だって昔は公園の隅っこの切り株をタイムマシーンにしたりどんぐりを爆弾にしたりしてみんなで冒険してたはずなんですけどね〜、あの発想力はどこから来て、どこへ行ってしまったんでしょうか。
(修学旅行みたいだ)
このコミュはあさひと夜の繁華街を回って色々な店に寄る話です。
今回のコミュの大きな目的はあさひを分かっている(た)、分かろうとするコミュのはずなんですけど、ここの発言だけはあさひの自由な発想に着いていけてない気がしてなんだか悔しかったですね。いつもだったら所謂「あさひ節」か〜位で済まされるはずなんですけど、親近感を覚えるような発言を多くされた上でこの発想力を見せつけられるとやっぱ違っていたのか…と勝手にこちらからラインを引いてしまいそうになっちゃいましたね。
色んな物に次々と興味を持つことの出来るあさひに世界の広さと選択の自由を感じて、あさひにとってはいつものように動いてるだけのはずなのになんだかノスタルジーを感じちゃいました。
俺達にとっては懐かしかったりもう常識になってしまったものでもあさひにとっては画期的な新発見で、そんなワクワクの原石達で満たされた知らない街を歩き回れるのってまさに今そこにいるあさひだけの特権だと思いました。しかもそれをいつもの行動時間とは違った夜中にしてるってのがなんだか罪悪感があったり、はたまたまるで夢のような時間であったりと色んな意味が出てきて面白いです。
この流れで右の選択肢出てきた瞬間はぁ〜〜〜〜???????つら……………………になっちゃいましたね、プロデューサー側は実際に忘れてしまった人間なので。
例えその時の店員さんの出任せだとしても、「特別なバット」と呼ばれたものを感じ取った気持ちごと受け取って信じているあさひも、そのような経験とその後を経てきたからこそ懐かしさを覚えながらも忠告してしまうプロデューサーも、またそれに反対してしまう今を楽しむあさひも全部全部愛おしい。
ここでもう明らかにあさひに対する羨望がありながらも壁を作ってしまってるプロデューサー
あさひのプロデューサーであるということはあさひを導きながらも保護者であらねばならないので、どれだけ楽しそうな道でも行く先にとても嫌なことがあるならば彼女を引き止めなければならないのが仕事で、楽しそうなあさひに合わせて周りの危険も考えずにバットを振るような行為は本来避けなければならない行為なんですよね
でも14歳のプロデューサーならあさひのバットを喜んで振ったかもしれない、その楽しさだけを見つめる行為はプロデューサーももちろん通ってきたはずの道でその後に叱られが発生することも学んだからこそ断ったのだろうと
楽しめる可能性とそれに伴うリスクを自ら経験して潰してきたからこそ大人としての今この立場があって、芹沢あさひを観測できていて、そうある限りは芹沢あさひと共に動くなんて行為は絶対出来ないんだろうなぁ〜〜〜
振りたかったかもしれない羨ましさとも取れる気持ちを14歳の自分に預けてあさひを見守るプロデューサー、立派だけど悲しいんなぁ〜〜〜〜〜〜
(見えるよ)
ここ大サビです
あさひが屋上で空の写真を撮ってるシーンから始まります
やぁ〜〜〜〜〜〜〜マジであさひの考え方凄すぎるな???????俺はそんな発想でてこなかったが………………
狭い倉庫の中に広い世界を創るためにまず空から創っていくって考え方マジで素敵すぎるな…芹沢サン、“世界創世”上手いっすね………
思えばダンス以外であさひが自分の世界を視覚的に表現したのってこれが初めてじゃないですか???ここからは余談になっちゃうんですが俺はあさひが描いた絵をめちゃくちゃ見てみたいんですよね、彼女が見ている世界を彼女自身が描いたものをぜひ見てみたいけどもそれが完全にその世界を表現しているとは限らないし刻一刻と動いていくものを部分的に切り取っただけのものになると考えるとやはり自分には彼女を理解することは出来ないし何かが見えたとしても今回のコミュみたいに更に遠さを感じてしまうのではないかと思うとやはり見ない方がいいんじゃないかと考えて毎日枕元で呻きながら人生してます
や、これはマジで天使じゃん、天からの恵みじゃん
子供は3歳までは神のうちという言葉がありますが、アレ14歳まで対象年齢引き上げた方がいいっすよ
芹沢あさひのオタクって絶対彼女にどこか破滅がチラつくからこそ好きになってる部分があると思うんですよ(デカい主語)、そんな彼女が不意に身近な大人に壊されかねないような自分だけの世界を秘密基地の中に物質的に創って満面の笑みを浮かべてるのってさぁ〜〜〜
誰でも本部以蔵になっちゃうんだよな………
そんな彼女の世界を見せつけられてプロデューサーも
彼女の世界を壊すまいとしているんですよね
共有スペースである倉庫を自分勝手に改造することはもちろんいけないことなので大人であるプロデューサーが戒めないといけないのは確かなんですが、この時彼は子供側に寄って考えてしまって注意することをためらってしまってるんですよね
(見えるよ)とタイトルにあるようにプロデューサーは自分の子供としての感性と共にあさひの世界をわかってしまっている、つまり先程のコミュと違ってプロデューサーが自分の大人であるという役割を一旦放棄したからこそ初めてあさひの考え方に寄り添うことが出来てしまっているって事実が凄く感動とともに悲しさがきてオタクの感情は複雑になってしまった………
(合掌、いただきます)
少し話は脱線しますが、俺最近イルミネのオタクなんすよ
彼女達のコミュってめぐるを中心に色という視覚的な価値観とそれを比喩として用いた話がよく出てくるんですよね、そこから個人の考え方や捉え方は違うしそれぞれだからこそ美しいってアプローチをしがちで
でもイルミネのコミュで毎回出てくるもう一つの重要なファクターが食事で、視覚とは異なる味覚での記憶であり、一緒に美味しいものを味わって幸せな時間を過ごしたということは異なる価値観を持った3人の中でも等しく楽しい思い出なんですよね
そして話は戻り、このあさひのコミュはプロデューサーがコロッケを食べようとする場面から始まります
や〜〜〜〜〜〜〜やっぱ食事は共通言語なんですね〜〜〜〜〜〜〜^^^^^^^^^^^
こんなにもワクワクしたプロデューサーの選択肢見たことなくてめちゃくちゃ嬉しくなっちゃった、これまで異なる立場と価値観を強調されてきたプロデューサーとあさひも食事のことなら共に楽しめるってのがとてもいいですねぇ
かと言ってプロデューサーが給食に懐かしさを覚え牛乳を飲みたいというとたった今当たり前のように給食を食べているあさひと少し意見が食い違うのもなかなかリアルで面白かったですね
も〜〜〜〜〜〜〜〜〜マジでね、ここのね、「…!」のところのあさひの声がめちゃくちゃ嬉しさと期待に溢れてて可愛すぎるのよ、そしてコミュの最後があさひの笑顔で終わるってのがすげぇ嬉しくて嬉しくて、でも悲しくて…
もしプロデューサーが本当にあさひと同じ年代として出会っていたなら秘密基地を作る時も二人でこんな悪巧みと行動を出来ていたのかもしれない、立場さえなければ出会えなかったかもしれない二人は立場さえなければずっとこのような関係だったのかもしれない
食事を媒介に彼女に完全に寄り添うことが出来るIFルートを見せつけられたような気持ちになって楽しい場面のはずなのに悲しくなってきちゃった
(見つけような)
最後であるTrueコミュは発展してしまった秘密基地から始まります
倉庫という固定された場所もあさひにとっては可変性の空間で、時によって色んなものに変わっていくんだなと思うとその捉え方にわくわくが詰まっていて羨ましくなってしまいましたね
ここの会話、この後続くプロデューサーの例え話へのリード文とも捉えられるんですが、もし純粋に彼があさひの世界に合わせようと話し始めていたならこれほど残酷なことはないと思いましたね、大人如きの想像力じゃ埋め合わせることの出来ない世界が広がっていることをいざ言語化されると辛いものがある
※ここから長めにスクショを貼ります
大人ってずりぃよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
プロデューサーの考えてる事も痛いほどわかるんですよ、あさひのことを最大限思うからこそ大人である自分の手で世界を壊すことはいけないことだし他の誰かに撤去されていくのも悔しくてたまらなくなってしまうはずなのは理解できます
だからってさ、これ以外方法がないからってさ、あさひ自身に自分の世界の首を絞めさせるのが正解になるってそりゃないよぉ〜〜〜〜〜〜………………辛いよぉ……………………
大人だからこそそこで生きる人間の社会のために子供の世界を狭めさせないといけないってなった時にさ、わざわざ子供にわかるように子供だけの世界に異物を持ち込んで考えさせるって話法も正しいはずなんだけどクソクソずりぃなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜やりきれんなぁ〜〜〜〜〜〜〜………………
あさひは前述の通りダメと言われるタイミングはちゃんとわかる聡い子だから実際このコミュでもそれを理解したような表情をしていたし、ぶっちゃけこんなこと言われて考えろってなったら撤去する以外方法はなくなってしまうってのは理解出来てしまうからすげぇずりぃやり方だし、でも自分自身の手で世界を狭めてしまうという誰しもが行ったであろう経験をあさひに羨望まで抱いていたであろうプロデューサーが勧めてしまうってのはめちゃくちゃしんどい事だったんだろうなと思うと何とも言えなくなってしまうんですよね
そしてあさひは結局秘密基地を解散してしまうんですが、それでもあさひはまた自分の世界をどこかで創ろうと探しに行くんです
一度そんな酷いことをさせてしまった側のプロデューサーにとってはあさひの考え方が変わらなかったことはとても大きな救いであっただろうし、あさひもまた誰のものでもない場所を探そうとしているのである意味成長してしまったのかなと思います
で、これ一番最後なんですが、
あのバット忘れちゃってるんですよね………
このシーンの受け取り方は多数あると思うんですが、俺は一番最初に「芹沢あさひも俺たちと同じようにあの日のバットを忘れてしまうんだなぁ」と思っちゃったんですよね
今回あれだけ遠くにあることを近くにあったはずの事例で示されてきて悲しさや辛さを感じてきたはずなのに、最後の感想がこちら側に来るなという意の感情だったんですよ
単にあさひは興味の移り変わりが早いから、そのバットも興味がなくなったもの一つになっただけなのかもしれない、でもあさひの世界を一度狭めたことによって漏れ出てしまったバットの在り方にいつかの日の自分が持っていた木の枝を模した伝説の剣を思い出してしまう。
彼女に自分だけの広がり続ける世界があることが俺個人にとっての救いになってたのかもしれないし羨ましさの元になってたのかもしれない、でもそれを狭める決断をしたプロデューサーにも合意する部分があるということも確かだしなんかもうぐわーーーーってなりながらうだうだ思考しました
もしかしたらいつかあさひも自分の世界を本当に狭めきってしまう時が来るかもしれない、そしてそのトリガーが大人の世界であることは確かである、でもそれを通り抜けて大人になってきたプロデューサーや俺があさひの世界に希望を持ってしまうのって矛盾してて罪なことかもしれない
でもプロデューサーは大人だからあさひを支える役割としてあさひの世界に存在出来てるので自由すぎる広がりを許容してしまったらその役割を放棄してしまうことになる
この問題に誰も傷つかず答えを出す方法は恐らく存在しなくて、答えを出さないといけない瞬間もいつ来るかわからない
あさひに俺たちが昔見ていた世界と重なる部分を見せてもらえたからこそあさひのわくわくへの儚さと輝きの強さにより気付かされたコミュでした